top of page
聴衆+講演会.jpg

お知らせ

第4回公開講演会
中世の博多の謎を解こう
入場無料 申し込み不要
講師 佐藤鉄太郎 博士(文学) 元中村学園大学教授

・元寇研究会の講演会です。

・日時 令和5年(2023) 11月5日 (日) 13:00~16:00 。12:30開場、13:00開会

・場所 アクロス福岡 7階 大会議室。

〒810-0001

福岡県福岡市中央区天神1-1-1

・定員 200人 

先着順 入場無料 申し込み不要

 講演1 小柳左門 演題 「国難と亀山上皇の祈り」 

原看護専門学校校長 医学博士。

著書 『皇太子殿下のお歌を仰ぐ』(展転社 2019年)、 『ポケット万葉集 万葉の花かご』(致知出版社 2010年)

 講演2 佐藤鉄太郎 演題 「中世の博多の謎を解こう」

元中村学園大学教授 博士(文学)

著書 『蒙古襲来絵詞と竹崎季長の研究』(錦正社 2005年)、『元寇後の城郭都市博多』(海鳥社 2010年)

予定は変更になることがあります。

  現在の博多の原形は鎌倉幕府・鎮西探題が大土木工事によって構築しました。

幻の存在だとされている袖の湊も人工港として構築され、実在していました。

 中世博多の謎を解いて、博多の実相を明らかにしましょう。

一、 住吉と博多の間を流れていた御笠川が、博多の東側を防御するために現在の流路に開削されたのは、従来の研究者達が説明しているように戦国時代だったのでしょうか。それとも鎌倉幕府 鎮西探題による開削だったのでしょうか。

二、博多大水道と呼ばれる水路は、従来の研究者達が説明しているように江戸時代の下水道だったのでしょうか。それとも鎌倉幕府 鎮西探題が元寇防塁の後に、第二防衛線として構築した土居(土塁)を備えた堀だったのでしょうか。

三、袖の湊は、現在の研究者達が説明しているように実在しない幻の存在だったのでしょうか。それとも鎌倉幕府 鎮西探題が構築した港湾施設が存在しており、また、それはどのように管理されていたのでしょうか。

四、鎌倉幕府・鎮西探題によって、元寇後に城郭都市として構築され、鎌倉、京都と並ぶ三大都市として構築された博多について、魚町(上呉服町)の地蔵堂等から、この頃の博多がどのような町々であったことを明らかにすることが出来るでしょうか。また、大乗寺の板碑等から博多の町衆のどのような活動を明らかにすることが出来るでしょうか。

 

主催・問合せ先

元寇研究会会長 志賀建一郎

電話 0944-53-3937

e-mail: s81774916@gmail.com

bottom of page